フナフナベイベ

徒然に一人語る読書感想文。 雑食ですが趣味嗜好はかなり偏っておりますのでご注意を。

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2006-12-31-Sun-08-00

いつか記憶からこぼれおちるとしても

いつか記憶からこぼれおちるとしても/江國香織/朝日文庫

江國香織の本は、高校生の終わり頃から読んでいます。
言葉の感覚が好きなんですよね。
恋愛小説家として有名になってしまいましたが、個人的にはむしろ恋愛色の薄い初期作品のほうが好きです。 マイベストは未だに『つめたいよるに』ですから。
基本的に、長編よりも短編のほうが好きです。あとはエッセイも。
江國香織は、私の中では小説家というよりも詩人に近い存在なんだと思います。ストーリーよりも、言葉の使い方、雰囲気のほうが魅力的。

今回もまたペラリとめくった目次の見出しでやられました。

「緑の猫」
「雨、きゅうり、緑茶」

こういう言葉の羅列に弱いのです。
タイトルそのものもツボでした。

さて内容ですが、女子高生たちが織り成す「いつか記憶からこぼれおち」そうなエピソードの短編集。
全部で六編からなっているのですが、私が好きなのは「緑の猫」と「飴玉」。

「緑の猫」は、中学生の頃から二人だけで存在してきたような密接した関係の親友同士の話。登下校も、休み時間、放課後、部活、好きなブランドも一緒の二人だったのに、やがてエミの様子がおかしくなる。段々と精神の均衡を崩す親友を前にしても、何もできない萌子。
萌子の親友がどんどん遠ざかっていく喪失感、
他の誰も自分たちのことを分かっていないといういらだち、
「エミでないのならもう誰もいらない」というような固い決意、
などの感情が、どこかで自分も体験したものであるかのように感じられました。
こういう、二人だけで完結しているかのような女の子同士って、どこにでも居ますよね。本当に、居心地がいいんですよ、あの空間は。他から見れば、お互いに依存しあっている閉じた世界の住人なのでしょうが、それでもいいんです。 だっていつかは出なくてはならない世界なのですから。
彼女なしには生きていかれない、と思うほどの存在だったことは確かなのに、いつしかそれが「いない」ことにも慣れていくのです。それでも、あの頃の、あの感覚が確かにあったということは嘘ではなく・・・自分の思春期を思い出す作品でした。

そして二つ目、「飴玉」。
かなり太めで、その外見からか、周囲からは「明るくて気さくないい娘」だと思われている女子高生。そして本人もそれを分かっていて、そう演じているフシがある。
学校でも、バイト先でも、そして自宅ですらそう見えるように振舞う彼女は、実は日記帳に秘密を書いていた。
飴玉をひとつ、飴玉をふたつ。
飴玉は、毒薬。
彼女は日記帳で身近な人を毒殺していた。

人間誰しも、生きている以上は、心の中で殺人を犯したことくらいあるのではないでしょうか?むしろ「そんなことない」というような人は、信用できない気すらします。
日記帳で気晴らしになるのなら、どんどん推奨したいくらいです。
そして作中で、彼女はバイト先のめだかを全滅させてしまいます。
初めて、破壊を行動で示したのです。
それがめだかだろうが、何だろうが、肝心なのは「行動した」ということ。彼女の胸には、言い知れない達成感があったことでしょう。その気持ちも、すごく分かる気がしてしまうのですよね。

色々なバージョンの女子高生をリアルに感じさせる江國香織の感性に、また惚れ直してしまいました。

読了日:2005年12年9日

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