フナフナベイベ

徒然に一人語る読書感想文。 雑食ですが趣味嗜好はかなり偏っておりますのでご注意を。

メニュー目次メニュー目次メニュー目次メニュー目次
-----------------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2006-12-31-Sun-11-15

私が語り始めた彼は

私が語りはじめた彼は/三浦しをん/新潮社

さてお話は、ずばりしをん版「藪の中」。
村川という大学教授について、彼に関係した人々が語り手となって物語ます。
村川という男に関係した人々の六つの話。
直接村川について語っているのではない話もありますが、
村川という「夢見がち」で「さびしくて繊細なひと」は、そのまま純粋な「愛」を表していると思われるので、やはり村川についての話だといえるでしょう。

作中で村川の人物像が直接語られることはありません。
最後まで読んでも釈然としない部分もあります。彼は節操のない人間としか思えないけれど、それでも極めて魅力的には違いない男なのです。
エゴイズムでロマンティスト。無責任だけど義務は果たす。
さびしくて繊細。変化を恐れて不変を求める。甘い部分だけを求め、いつまでも夢見がち。
村川=愛、だと思うと納得できてしまうのです。

そしてラスト、村川の弟子であった三崎は思います。
「私は先生がたどりつけなかった場所を目指そう。(中略)
愛ではなく、理解してくれ」と。
そしてそのために「きみと話がしたい。きみの話を聞かせてほしい」と。

「愛ではなく」というところに、すごく反応してしまいました。
この作品中の2人の主人公(男)は、お互いのパートナーを激しく愛し、求めはしません。それよりも 「淡々と」関係していくことを望んでいるのです。 これもまた「愛ではなく」ということでしょうか。 とくに「2残骸」では、変化していくものということについて語られており、先日読んだ「ロマンス小説の七日間」にも相通じるものがあります。

「愛ではなく、理解を」。
重い言葉です。
ちなみに仏教では「愛=執着」という意味だそうですよ。
ふぅん・・・。

読了日:2006年9月6日

COMMENT

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

TRACKBACK

http://funafunababy.blog89.fc2.com/tb.php/20-08f6c2a7



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。